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加茂神社夜能 演目 源氏供養

加茂神社能舞台

8月27日に加茂神社能舞台にて開催された夜能を観覧してきました。この日は安寿天神祭りが同畑野地区にて開催されており、大勢の人で賑わっているところから少し離れた神社で催されました。
ちなみに「夜能」と書いて「やのう」と読みます。

主催が畑野能楽クラブ一葉会さん。演目は源氏供養。

地謡

源氏供養は紫式部の亡霊が現れ、源氏物語の供養を怠ったため苦しんでいるところ通りかかった僧に供養を頼み、お礼に舞を舞うというお話。

加茂神社夜能

源氏供養

紫式部の亡霊

仏教では嘘をついてはいけないという、不妄語戒(ふもうごかい)という五戒のうちの一つがあり、紫式部の書いた架空の物語である源氏物語が不妄語戒に反するというのが源氏供養の由来だそうです。

安居院法印

安居院法印

Noh Performance

紫式部

夜能

能舞台

石山観音の化身

最後は光源氏の供養を果たし紫式部が消えていきます。

畑野能楽クラブ一葉会

毎年恒例となっている加茂神社夜能。
他にも佐渡には沢山の演能がありますので、ぜひ演能の機会に合わせてご来島ください。

2017年 佐渡薪能・狂言・ろうそく能スケジュール

当館から加茂神社能舞台への地図

薪能の撮影なら佐渡へ!能の写真・画像・動画で幽玄な世界をあなたのカメラで収めましょう

薪能 撮影

佐渡には、日本の能舞台の1/3が集まっているといわれています。その数30余り。
詳しくは佐渡観光協会の能の島佐渡をご覧ください。

プロの写真家・フォトグラファーの方、アマチュアのカメラマンの方でも佐渡は薪能の撮影にはぴったり。
他所では撮影禁止のところも多く、あの幽玄な能の世界を写真や動画に収めることが出来ません。
しかし、佐渡の薪能は撮影が殆どオッケーです。
(8月開催のアース・セレブレーション関連は撮影不可)

新潟市内の方で毎週のように薪能を撮影しに、ご来島する方もいらっしゃいます。
それほど、魅力的なんでしょうね。

ただし!
これだけは守っていただきたいことがあります。
フラッシュ撮影はやめてください!!
最近は携帯電話でもフラッシュ機能がついていたりしますが、フラッシュを焚くと幽玄な世界が台なしです。
また、ピント合わせの際の電子音などもオフに出来るものならオフにしておきましょう。

毎週のように来られる方は、入場の際に祝儀袋持参で受付で渡し、神社にお参りし、後方で手際よく準備し、望遠でパシャリとスマートに撮っておられました。
非常にマナーの良い撮影スタイルかと思いました。
撮らせていただく。という想いが伝わってきます。
能を舞う演者さんたちに敬意を払い、神社にお参りするというこの御方を見習いたいと思います。

薪能 千手

上記画像は9月2日に行われた薪能演目:千手の写真です。
NEX-5の55-210の望遠で撮影しました。

ぜひ佐渡の薪能を見においでください。
薪能の日程や演目の確認等はこちらに記載しております→佐渡薪能スケジュール
フォトグラファー・カメラマンの方はぜひ!おいでください。

小泊白山神社能舞台 屋根補修工事 完成記念 薪能:海人

小泊白山神社能舞台 薪能

2012/6/2の18:30より開催された薪能の演目:海人
房前大臣(藤原房前)が、幼少のころに亡くした母は讃岐国志度津の人と聞かされ、菩提を弔うためその地をたずねると、その浦の海女が登場、自分が房前の母であり、龍宮に奪われた「面向不背の珠」をとりかえした経緯を物語る前段、その土地の住人が前段のストーリーを改めて語る間狂言部分、房前が妙法蓮華経で母の追善供養をしていると、龍女に姿をかえた母があらわれ供養を謝す後段からなる。
wikipediaより引用

シテ:青柳洋子
子方:笠井葵
ワキ:渡辺和夫
ワキツレ:天沢真博
間:北村和雄
後見:村川忠良、村川登志郎
大:渡辺和樹
小:池田三保子
太:逸見良一
笛:高原十糸子
地:八木澤公子、中川範子、矢田由美子、金子美恵、中平昭代、山田光子、坂野恵美子

薪能 海人

13歳の房前大臣は母が亡くなった地、讃岐国房前の地におもむく。従者(ワキ、ワキヅレ)による奈良、津の国、淡路、鳴門の道行きが謡われ、志度の浦に到着。従者がこの地のいわれを聞きたいというと、そこにひとりの海女が登場する。海女は「志度寺の近くに住むけれども、仏道に反する殺生をしている。伊勢や須磨のように風流の心をはぐくむような土地柄でもない。しかし、そんなことをいってもいられない。仕事をしよう」と独白する。

従者が彼女に「海底の藻をとってきてください」と頼むと海女は「空腹でいらっしゃるなら、ここに持っている藻をおあがりください」と応える。従者は「そうではないのだ。海に映る月をご覧になるのに、藻がじゃまになるのだ」という。それを聞いた海女は「昔もそのようなことがあった。海底の珠をとってこいとのことだった」と感慨深かげに言う。その折のことを語ってほしいという従者の頼みに海女は次のように語り始める。
wikipediaより引用

薪能 海人

「今の大臣淡海公(藤原不比等)の妹君が唐の妃になられるにあたって、唐の高宗皇帝から興福寺に三つの宝物が贈られました。そのうちのひとつ『面向不背の珠(釈迦の像が必ず正面にみえる不思議な宝珠)』をこの地で龍宮にとられてしまいました。大臣はその珠を奪い返すため身をやつしてこの地に来られ、海人乙女と契りを結ばれました。そのとき生まれたのが房前の大臣です」と。房前はそれを聞き「われこそ房前大臣である。わが母は志度の浦の海女ときかされてここに来たのだ」と名告る。海女はさらに、珠を取り返したときのことを語る。

「もし珠をとってきたら、この子を世継ぎとしてくださるという約束に、海女は命を惜しまず海中に飛び入ったのです」という語りから地謡にあわせての所作になる。
wikipediaより引用

薪能 海人

薪能 海人

薪能 海人

従者は房前にさきほど海女から渡された手紙を読むように勧める。房前はその手紙をひらく。そこには「十三年の間わたしを弔う人とてなく冥土の暗闇におります。あなたが孝行ならわが闇を助けてください」とある。地謡によって「妙法蓮華経の読誦やさまざまな法要をして善をなそう」と謡われると、龍女に姿をかえた先ほどの海女が登場する。「ありがたいお弔い、なおなお法華経をお誦みください」といって、経にあわせて舞いはじめる。やがて「早舞」になり、「今この経の功徳にて」成仏した礼をのべ、地謡の「龍女成仏、さてこそ讃州志度寺と号し、毎年八講、朝暮の勤行、仏法繁昌の霊地となるも、この孝養と承る(龍女は成仏しました。このように志度寺と号して、毎年の法華経読誦の法要や朝夕の勤行をする仏教の盛んな地となったのも、この房前大臣の親孝行のおかげなのです)」で舞い納め能は終わる。
wikipediaより引用

薪能 海人

薪能 海人

Facebookページの薪能:海人ギャラリーより

ここに役者さんたちの名前を記載しましたが、ちょっとためらいましたが掲載させていただきました。
この方たちは佐渡の誇りです。日夜練習し、この舞台に立つその苦労たるや、ただただ頭が下がる思いです。
佐渡の能はこの方々あっての上演をしているんですよね。

僭越ながらブログよりエールを送らせていただきたいと思います。