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宿根木の岩屋山石窟お籠り神事

岩屋洞窟

宿根木にある磨崖仏で有名な洞窟の岩屋山。地元の方には岩屋さんとして信仰の地として親しまれている場所ですが、毎月17日になるとこの洞窟でお籠りがあるらしく、たまたまその日に縁があってお邪魔することに。
この洞窟は相川の岩谷口にある岩谷山の洞窟と繋がっているという説もあり、その昔犬を放したら、相川の洞窟から出てきたというお話を聞いたことがあります。現実的にはそこまで繋がっていないと思いますけども。また、洞窟の周りには八十八の石仏があり、そこをぐるりと回りお参りすると八十八ヶ所巡礼したのと同じ御利益があるといいます。この石仏は真野椿尾の石工の作だと言われてます。

八十八の石仏

だいたい9:00ぐらいから集まり始めると思うという情報をいただいていたので、少し早めに到着し、先に観音堂と洞窟内の観音様にお参りを済ませておきました。観音堂の聖観世音菩薩は8月の17日のみご開帳するらしく、以前は洞窟内に安置されてあったようですが、洞窟内は湿気が多いので外に観音堂を建て、そこに観音様を移したそうです。

観音堂

やがて一人のおばぁちゃんが荷物を抱えて、階段を上がってくるのが見えました。
お花やお供えものを担ぎ、下から長い階段を上がってきたのでしょう、途中休み休み観音堂へと続く階段をゆっくりと上っていきます。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
念仏を唱えながら階段を上がっていきます。

宿根木のおばあちゃん

おばあちゃんは、念仏を唱えながらご自分で作ったおにぎりやお菓子などを並べて、自分のところで育てたお花をお供えし、ろうそくに火をともします。
また一人観音堂に上がってくる方がいらっしゃって、今度は団子をお供えしました。積み団子とか枕団子というやつでしょうか。ご自分の家で上新粉で作るそうです。

お供え物

線香を立てて、お経を取り出すと「私はお経を唱えてからお籠りの方に行くので、どうぞ先に行っててください。」と、お気遣いのお言葉をいただき、この信仰深さと優しさに触れ、尊敬の念が湧いてきます。当たり前のように続けてきたお参りお籠り、この地を大切にし、感謝と施しを忘れないこのおばあちゃんに、深く関心しました。

御真言

あまり念仏のお邪魔をしてはいけないので、洞窟の方に向かうと若い奥様が火を起こしていました。祭壇のろうそく火を灯し、お籠りの準備をしているようです。
洞窟内はまだ肌寒い感じでしたので、この火があることで暖かいのですが、煙も洞窟内にこもるので、もやもやしています。
夏にはこの煙が虫除けの効果もあり、多少熱くても火を起こすのだとか。

焚き火

観音堂にいたおばあちゃんが洞窟入り口まで来られました。今度は入り口の周りにある八十八体の石仏の最初と最後だけお花をお供え。
風で飛んでしまった石仏の帽子をかぶせてあげる姿に、慈愛と信仰心を感じ、なんとも心が温まります。
おばあちゃんは「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えながら帽子をかぶせてあげます。

石仏

洞窟最奥に祀られている観音様は、十一面観音。石仏なので朽ちることはないのでしょう。
とても保存状態がよく、キレイにしてありました。写真でもわかるとおり、十一面観音のシンボルでもある頭の上に顔が精巧に掘ってあります。この十一面観音の後ろには、さらに奥へと続く洞窟が広がっているようです。ちょっと入り口が狭いので、這っていかないと入れなさそうですが。

十一面観音

経本を開き、合唱しながらお経を皆さんで唱えます。洞窟の中なのでお経が反響しつつ、薄暗い中にろうそくの明かりが灯り、とても神秘的な様相です。
昔は当館の近くでも5人組という制度があり、5人組の葬式には皆さんでお経を唱えるべく、月に一回ぐらい集まりお経の練習のようなものをしていたのを今でも覚えております。こうした地域ぐるみの信仰というのも薄れていったような感じがしますが、宿根木ではこうしてまだ残っているのですね。

念仏

念仏が終わると、お供えの団子を焚き火のところにくべて焼きます。これを食べるとご利益があるということでいただきました。
こういった地域の信仰の場に立ち入るのが、恐縮すぎて申し訳ない気持ちでしたが、暖かく迎えていただきつつお団子までいただき本当にありがとうございました。
この場をお借りして感謝を申し上げます。

お供え団子
お供え団子

宿根木はとても信仰心厚く、町並み保存地区の奥にある称光寺では絶やすことなく、お墓に花が添えられています。
それもほぼすべてのお墓にキレイなお花が供えてあり、お花をお供えする方が他のお墓にもお供えするのだとか。もし宿根木を訪れることがありましたら、お供えのお花の美しさに信仰心を感じていただけたらと思います。

当館から岩屋山石窟までの地図

佐渡金山の新コース無名異坑(山師ツアー)

佐渡金山無名異坑

2018年4月からオープンした無名異坑コースに行ってきました。ここは上級者向け(マニアックでモノ好きな人向けw)の山師コースという、予約しないと入れないガイド付きのコースです。
通常は「宗太夫坑」コースで、こちらは江戸時代の坑道を掘っている様子を再現した人形がいるコース。地元の方は遠足などで行ったという方も多いですし、新潟県内の方なら小学校のときに修学旅行で訪れたという方も多いです。「道遊坑」コースは佐渡島内の方でも行ったことがないという人の方が多い、明治~昭和にかけての坑道の様子を公開したところ。

あとはガイド付きの予約しないと行けない2つのコースがあり、「ガイド付き世界遺産ツアー」と「ガイド付き山師ツアー」です。
世界遺産ツアーは既に行ったことがあったので、このガイド付き山師ツアーを申し込みました。

無名異坑
無名異坑

こちらは事前に予約が必要で、4月~11月まで入れます。一組2~10名までの制限があります。
坑道内は水たまりもあり、長靴が無いと歩けないのですが、長靴、ヘルメット、軍手、ライト、服が汚れないように雨合羽を佐渡金山の方が用意してくれます。この日は私達だけで貸し切りツアーでした。
料金は大人2400円、中学生1200円で、所要時間は100分程度だそうですが、私達は大切山の坑道は既に入ったことがあるので、大切山はパス。
佐渡金山の山師探検ツアーで大切山抗の坑道内へ探検!(佐渡世界遺産になる前に急げ!)

無名異
無名異

入り口から入ると、早速鉄分を含んだ赤い岩や土が見えてきました。
無名異焼は金鉱石を溶かすため、炭に空気を送る羽口と呼ばれるパイプの部分に使われました。人間国宝の伊藤赤水さんは元々は羽口屋さんだったそうです。

坑道
白カビ
白カビきらきら

坑道に入るとところどころが、白くキラキラしているものが見えるのですが、これは白カビだそうで、その白カビに坑道内の湿気が水滴となって付いて、ライトの明かりでキラキラ光って見えるようです。このキラキラしているのが、本当に綺麗なのですが、まぁカビです。

線路
トロッコ用線路

坑道内はトロッコの線路があり、鉱石を運んでいた当時を彷彿とさせます。前日雨だったせいか、ぬかるんだ感じになっており、長靴が無かったらきっと泥だらけでしょうね。また、壁もしっとりと濡れている感じですので、迂闊に触ると泥が付きます。カバンなどが付かないように気をつけましょう。

坑道内ランプ

ここで、当時のランプの明かりがどれぐらいだったのかというのを、体験します。燈明皿も無名異焼で作られています。この燈明は流石にろうそく並の明るさですから、これだけで坑道内を歩くのは非常に困難。時代とともに、灯りも進化してより明るく、遠くまで明かりが届くようになっていきます。

キクガシラコウモリ

坑道内にはコウモリがいるとのことでしたが、このコースは遭遇率は高そうです。ちなみに、キクガシラコウモリに出会えました。

無名異焼

坑道の中程に差し掛かると、無名異焼の作品が並べられ、無名異の土のサンプルも置いてありました。この土は門外不出で佐渡島外へ持ち出しが禁止されております。焼き上がった無名異焼の作品はお買い上げいただき持ち帰りが出来ます。無名異の土は昔は薬としても用いられ、血止め、胃腸薬などで使われたそうです。

坑道出口

この中程のところでは、「ほ~らいら、ほ~らいら♪」とやわらぎという歌が聞こえてきます。どうやら、宗太夫坑の出口付近が直下らしく、下から歌が聞こえてきます。ぐねぐねと入り組んでいるので、方向感覚がわからないのですが、無名異坑の入り口からググっと左側にある宗太夫坑の出口へと歩いていったのですね。

ダンジョン
ダンジョン

坑道はまだまだ続き、ガイドさんの説明を聞きながら進みます。途中ヘルメットを何度かぶつけてしまいましたが、身長が高い人は気をつけてください。勢いよくぶつかれば首やられますので・・・。

トロッコ
トロッコ

線路に頓挫しているトロッコ。明治時代のものと思われますが、朽ちた感じが時代を感じさせます。ここに鉱石を山盛りに積んで鉱夫たちが手押しで運んだのでしょうね。

鉱石
坑道入口

このトロッコが置いてあるところらへんが、一番奥らへんでして、そこから元の道を引き返していきます。滅多に来れない(二回来ようという人は中々いないと思われますが)ので、もう一度よ~く目に焼き付けつつ撮影しながら引き返します。

金鉱石

最後記念にということで、金鉱石をいただきました。
数に限りがあるかも知れませんので、欲しい!という方はぜひこの山師コースをご予約ください。もしくは売店に販売している金鉱石をお買い求めください。

佐渡金山公式HP
http://www.sado-kinzan.com/
〒952-1501 新潟県佐渡市下相川1305番地
電話:0259-74-2389 Fax:0259-74-3235
営業時間 4月~10月 / 8:00~17:30 11月~3月 / 8:30~17:00

当館から佐渡金山の無名異坑コースへの地図

長安寺にあった順徳上皇の書「祈祷」の勅額を雲洞庵へ見に行く

雲洞庵

以前長安寺を訪れた際に住職であるおばあちゃんが本堂の額を指して、これは模造品で本物は雲洞庵にあると。上杉景勝が佐渡責めの際に長安寺も本間家の息のかかった寺であるため、お寺にあった宝を持ち去ったそうで、その一つが順徳上皇の書である「祈祷」の額。ネットで検索してもなかなか出てこないので、どうしたものか?と調べてみたくなりました。

雲洞庵の土踏んだか
雲洞庵

南魚沼にある雲洞庵は大河ドラマの「天地人」でも舞台になって、雲洞庵の土踏んだかと言われる越後でも名高いお寺。このお寺の参道には梵字が書かれた石が地中に埋めてあるそうで、参道の土を踏みしめるだけでご利益があるのだそうです。参道にある仏像も苔むして時代を感じさせます。ちなみに拝観料はお一人様300円。

雲洞庵本堂
雲洞庵本堂内

順路に従い本堂にたどり着くと、早速順徳上皇の額が掲げられている内陣へ。途中長生きの水や立派な錫杖や仏像もありましたが、あまり時間も無かったのでサッと目を通しただけですが、沢山見どころのあるお寺でした。ちなみに、室町時代に上杉憲実公によって建立された本堂は、新潟県の指定文化財にもなっているそうです。

順徳上皇の勅額
祈祷の額

これが順徳上皇がお書きになった「祈祷」の額。元は佐渡の長安寺に掲げられていたであろうその額。越後の方に言わせれば「寺が進呈したものだ」とのことですが、長安寺から言わせれば「奪われたものだ」とのことでした。どちらが本当なのか、これは時代をさかのぼってみなければわかりません。私は順徳上皇のお書きになったその書を拝見出来ただけで、そして元は長安寺にあったものが、ここに無事掲げられているというだけで、それを見られたので満足でした。ちなみに、長安寺に掲げられているのは色が違いますが、書体は同じですし、その写しであろう掛け軸もありました。

長安寺
祈祷の額
祈祷の掛け軸

実はこれだけでなく、持ち去った宝物の中に朝鮮鐘(国の重要文化財)もありましたが、重すぎて船に乗せられず、佐和田の真光寺に預けられていたものが明治頃になって長安寺に戻されたとか。住職曰く、この時にも諍いがあり、真光寺の方たちは鐘が真光寺に戻りたいと鳴っているといい、長安寺の周辺の方々は長安寺に戻りたいと鳴っているといい、しばし争いがあったのだとか。

長安寺の朝鮮鐘

子供のときにはこうした歴史は全く興味が無かったのですが、大人になってこうして歴史の紐を解いて辿ってみると、案外面白いものですよね。この長安寺には他にも素晴らしいものがあり、木造金剛力士立像が仁王門にあるのですが、これが実に素晴らしい。

長安寺仁王門
木造金剛力士立像

杉材で作られた迫力ある姿ですが、時代経過とともに、杉の木目が強調されていくのを計算されて作られたそうで、眼球のところや鼻のところなど、見事に木の年輪とマッチしていて、時代と共により一層迫力が増していく進化する木造金剛力士立像なんですね。佐渡市指定の有形文化財になっていて、鎌倉時代以前に作られたものだそうです。

さて、こうして長安寺にあった順徳上皇の勅額が雲洞庵に掲げられ、それを追い求め旅行をしたわけですが、ただ有名な観光地に行くだけでなく、こうした歴史を辿ったり、有名な方の足跡を辿ったりするのもまた旅の愉しみ方のひとつだなぁと感じました。(要はマニアックな旅ってことですけども)

当館から長安寺への地図